大河ドラマ編
vol.3 上野戦争は単なる局地戦だったのか???
大河ドラマ「おんな城主直虎」から完全に脱落しました。ということで前回から引き続き、1977年放送の大河ドラマ「花神」の話です。主人公「大村益次郎」は徳川幕府を倒した討幕軍の総司令官として明治政府軍を勝利に導き、日本の近代兵制を創った「日本の陸軍の創始者」です。知らない人は結構多いのです。明治政府がいかに大村益次郎を評価したかといえば、戦争が終結した後に明治政府は、賞典禄として1500石を与えているということです。
これがどれだけ多いかというと、西郷隆盛が2000石、大久保利通、木戸孝允が、1800石で、その次が1500石の大村益次郎です。だからもう少し有名でもいいんです。
その大村益次郎が「彰義隊」との「上野戦争」を勝利に導くところは大河ドラマでも最終の見せ場でした。上野戦争は1868年「戊辰戦争」の中の局地戦のひとつです。時期的には会津戦争と北越戦争が始まって・・・その一方で江戸では・・・みたいにとらえておいてくださいね。ドラマではこの戦争の勝利の日〜「その日が明治政府誕生の日」とのナレーションが印象的でした。局地戦といってもそれだけ重要な戦争だったわけですね。15代将軍徳川慶喜自身は降伏して水戸で恭順、そして政府軍西郷さんと徳川方勝海舟の交渉で江戸城無血開城、そして一件落着〜といきたかったわけですがそう簡単にはいかなかったのです。
実は新政府軍は兵隊の数、軍備すべてにおいて徳川より劣っていたのです。歴史の教科書でも戊辰戦争は数行で終わりますし、幕末モノ歴史ドラマでもあっさりと新政府軍が勝ってしまったもんですから、よっぽど強かったんだろうと勘違いしそうですが実際は違うのです。賊軍となってしまった総大将の徳川慶喜が部下を置いてって一人で逃亡降参しちゃったから家臣も戦が出来なかったのであって、幕府軍は絶対的に強いのです。にも関わらず降伏させられちゃガマン出来ない人間はたくさんいるわけで、その代表格が「彰義隊」。その軍隊が上野に立てこもったのでした。
ここでも政府軍の数は圧倒的に少ない。だって同時に会津や北越でも戦争やってますからね。したがって西郷さんも慎重にならざるを得ない。でも彰義隊は江戸では乱暴を働き治安は悪くなる一方。このままでは新政府の信用はなくなってしまい、新政府の味方に付くものはいなくなり、もとの世の中に戻ってしまう可能性が強かったのでした。この膠着した状態で登場したのが「大村益次郎」です。ここで大村益次郎が全国デビューです。ドラマでは全52話のうち45話でようやく全国デビューです。(遅い!!)高杉晋作も坂本龍馬もすでに死んでいます。しかしそのあとを引き継ぐように「技術者」が世に出てくるのです。長州では四境戦争で幕府軍を破った参謀で少しは有名ですが新政府ではまったくの無名の大村です。その大村が京都から派遣され、テコ入れに行ったのです。
西郷は彰義隊討伐に慎重な態度でしたが、大村はその反対。結局大村が総指揮をとり上野戦争はなんと半日で片付き、彰義隊は江戸から敗走したのです。
さて前置きが長くなりましたがドラマに戻ります。私としては戦のシーンよりも、同じ味方同士の大村と西郷(西郷というよりその信者、取り巻きと言うべきか)の関係の方が面白かったんですね。前にも申し上げましたが大村はまったくの無愛想な人間でいてもともと武士ではなく村医者。それでいて最新の近代兵学がぎっしり頭に詰まっていてしかも実践できる技術者。西郷はこれまで長く倒幕を行ってきたド真ん中の人間。しかもカリスマ的な人望を持っている人間で無愛想の大村と対局にあります。
自分だけがこの状況を打開出来ると自負する無愛想な技術者はまず、現場の参謀である海江田信義と衝突します。海江田は薩摩藩の出身で西郷と長く幕末の風雲を乗り越えてきた武士であり実績もプライドもある。そこへ挨拶もなく命令を下す大村。彰義隊に対して手をこまねいていたとはいえ、いきなり命令されてはさすがに頭にくるでしょう。薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の軍議のシーンは面白かった〜。
海江田「(攘夷倒幕運動に遅れて)後からやって来たきたおはんがオイ達に何故指図する?!!」(〜メチャクチャ睨みをきかせて)大村「勝つためであります」(冷静沈着に)海江田「上野で勝つためには(兵が)20,000は要る」大村「今の兵力で十分です」「アナタは戦を知らんのだ」(冷静沈着に)海江田「なんだとーーーーーッツ!!!武士に戦を知らんとはないじゃ〜、も一回言うてみ〜―――っ!!」大刀を引き付けて激怒する。大村「アナタは戦を知らん」「海江田さん、も少し静かにして下さらんか(扇子をピシャリピシャリと開閉しながら面倒臭そうに言う)海江田「この百姓がーーーーーーーーーッツ!!!」超激怒!!
いや〜海江田の気持ちはよくわかるわ。気持ちはわかるけど残念ながらアナタじゃ敵には勝てんのやな。最後には西郷さんが「大村ドンの軍配にお任せシモンソ」でまとまりましたが、この確執は終わらない。
上野の山の戦いは雨の降る早朝から開始。大村は懐中時計を見ながら「3時には終わるでしょう。」と側近に答え御用部屋に戻ります。しかし頼みの綱である長州藩兵士も薩摩藩兵士も前進することが出来ません。午前中は圧倒的に彰義隊が優勢。その報告を受けてもまったく動じない大村。「必ず勝てます」冷静沈着に言うのみでした。
そして午後一時「アームストロング砲を発射せよ」と命令します。アームストロング砲というのは、イギリスで発明された後装式の新型大砲で、弾はそれまでのような単なる丸い鉄のボールではなく、椎の実型で当たったら爆発する爆裂弾でした。しかもミニエー銃のように砲身にライフリングが施されているので、弾はより遠くへまっすぐ飛びます。このアームストロング砲は佐賀藩が独力で作ったものでした。
その破壊力は凄まじくこれで戦況は一変し、新政府軍優勢となるのでした。そして・・・予告どおり時間は3時。「もうこんな時間ですか。もう片付きます。」懐中時計を見ながら言います。「ああ、これで始末がつきました。」彰義隊の逃走を双眼鏡で覗きながら淡々と語るのみでした。新政府軍の完勝です。すべて大村の計算通り。周囲が大いに喜ぶ中この男に喜びの表情は一切なしです。というかドラマ見ても小説見ても、この戦の勝利に一番貢献したのは「アームストロング砲」だと思っちゃいます。
この上野戦争の後戊辰戦争は西郷さん主導から大村主導に変わります。というか新政府直轄の軍隊へと変化していきます。大村にしかできないのですが、任せた西郷さんもやはり大きいのです。大村は戊辰戦争終了後も明治陸軍創設に奔走しますが、京都で襲われその傷がもとで1869年46歳で亡くなります。暗殺者の黒幕は確執のあった海江田信義です。
その大村が創った新政府直轄の軍隊が西南戦争で西郷軍を破ることになり西郷さんは非業の死を遂げることになるのです。何か皮肉めいたものを感じます。
大村益次郎という合理主義者は極めて「長州藩」にはいないタイプなのです。私の思う長州藩は「吉田松陰」先生の影響も受けどこか狂ったイメージで現実的にものが見れずに良いも悪いも突っ走っていく感じがするのですね。戦前の日本陸軍は明らかに長州藩のそういった影響があると思うんです。あるから悲惨な負け方をしたと思うんです。もし大村益次郎がもう少し長く生きていたらもっと日本の陸軍は冷静な集団だったんじゃないかと思うのはわたしだけでしょうか?