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大河ドラマ編

vol.1 私の人生を変えた大河ドラマ『花神』

大河ドラマは1月から「おんな城主直虎」が始まっています。主人公は「井伊直虎」・・・ん?誰じゃ?私も歴史好きですが正直よく知らない。いやまったく知らない。昨年の真田家とは違い歴史ドラマとしての見せ場という見せ場が本当に少ない主人公です。しかし真田家以上に零細中の零細企業の井伊家がどのように繁栄するに至ったか、どのように世を渡っていったのか、非常に興味深いじゃありませんか。しかしまったく視聴意欲がわかないのです・・・。やっぱり昨年の草刈正雄の真田昌幸には敵わないのですね。まぁあのしたたかな適当な感じのキャラはもう出てこないでしょう。
だから今年はこのドラマのお話しをすることはほとんどないかと思います。
しかし、昔の大河ドラマの思い出ならなんぼでもお話しすることは可能です。

 

日本陸軍の創始者、村田蔵六(後の大村益次郎)

私が歴史好きになったきっかけのドラマが「花神」(1977年放送)です。私が10歳のころでした。

主人公は、日本陸軍の創始者、村田蔵六(後の大村益次郎)です。ん?「誰?」という反応も多いでしょうね。演じたのは「中村梅之助」。昨年お亡くなりになりましたね。司馬遼太郎の原作「花神」を基に蔵六の生涯を描くのかと思いきや実際は幕末の長州藩を1年間かけて放送したものでした。
吉田松陰⇒高杉晋作⇒村田蔵六と主人公をバトンタッチしながら黒船がやってきたところから明治維新までを放送したのです。私は山口県長州藩の生まれですっかり感化され、今でも何度も何度も総集編DVDを観たり、小説も何度も読んでいます。でも飽きないんです。司馬遼太郎は作中に言っています。

 

「革命のような歴史の変革期においては、三人の人物が登場する。まず、変革を促す思想を説く「思想家」の登場である。
 思想家の登場により、歴史の変革のダイナミズムがもたらされるのだが、この思想家、守旧派に弾圧され、天寿を全うしない。
 次に登場するのは、変革の思想に影響され、時代を動かそうとする「行動家」の登場である。 行動家の登場により、時代は激動するのだが、多くの場合、行動家もまた道半ばに倒れる。
そして、最後に、革命の総仕上げ人として登場するのが「技術者」である。これは専門家と言ってもいい。新たな社会構造を作り上げる法制技術者、経済学者であってもいいし、革命戦争を勝ち抜き、新しい軍制を創りあげる軍事戦略家であってもいい。 」
司馬遼太郎、『花神』、新潮文庫より抜粋

 

司馬遼太郎によれば、幕末の長州藩においては、思想家=吉田松陰、行動家=高杉晋作、技術者=村田蔵六ということになるのです。

私は若いころ「高杉晋作」という行動家の生涯にハマりました。なんせ人気があり派手で地味でなくてかっこいいですから。そして幕府が倒れるのを見ることなく28歳の若さで病死します。悲劇的です。それもいい。

しかしながら徐々に「技術者=村田蔵六」に魅力を感じるようになりました。戊辰戦争をわずか1年で官軍の勝利に導き、日本陸軍の土台を固め、骨組みを作った人物です。現在は靖国神社に彼の銅像が建っているくらいですからカリスマ性でもあるのかと言えば、無愛想で不器用で不細工と、困ったくらい「ぶ」の三拍子揃った人間だったのです。

たとえば、村人に「暑いですね」と言われたら「夏が暑いのは当たり前です。」と答えます。村人は「ええっ?」と困った顔です。宇和島藩にいた頃彼は蒸気船を作るよう命じられ見事に作り上げるのです。お殿様は喜びます。お偉いさんも「おおっ!!村田動いたではないか!」と歓喜の声をあげるのです。しかし蔵六は「驚くことではありません。動くように作ってあります。それが技術というものです。むしろ動かなかった時に驚かなくてはならない」と答えてしまいます。お偉方は当然「ムッ」とした顔になります。
彼には社交辞令というものはなかったんですね。戦争の総大将をやっても最初は衝突するんですね。「合理性」を追求するので、武士の気概とかいうものを一切無視していくのです。「技術」という言葉が小説やドラマでも何回も出てきますが周囲は彼の「技術」にひれ伏するしかないのです。そもそも武士階級の出身ではなく町医者、洋学者。馬にも乗れない。総大将的な立場にありながら、後ろからとぼとぼ歩いてついていったと言われています。要は地味なんです。「高杉晋作」や「西郷隆盛」と対局の位置にいます。存在するのは精神性を排除した冷徹すぎるほどの計画性、合理性です。彼の能力、技術なしでは幕府戦、戊辰戦争に勝利は出来なかったのでした。新しい洋式軍隊は完成しなかったのでした。

医者で言えばむちゃくちゃ愛想無しで、患者にも淡々と対応しながら誰にも治せない難病を難なく治療してしまう技術の持ち主でしょうか。

 

そんな魅力を感じたころ私は大学卒業後、証券会社のサラリーマンでした。バブルも崩壊。親会社の銀行は破たん。大手の山一證券は廃業。妻も子供もいて将来どうして生きていこうか不安な時期でした。証券会社の世界というものは基本精神論です。根性とかやる気とかが重宝される世界です(今は知りませんがあの頃はそうだった)。私はただ声が大きいばかりで結局何の問題解決も出来ない人間が嫌いでしたし、実際私がそんな人間でした。妻は看護師で技術をもって働いていました。自分には技術らしきものは何もないのが正直イヤで、ある時税理士試験のパンフレットを本屋で手にして、税理士を「技術者」と思ったのです。そのパンフレットが上手いことできていたんでしょう。そんな時、何度も読み返した小説「花神」の「技術者=村田蔵六」がシンクロしたのです。

技術者ってカッコエエ〜。税理士になったらこれで生きていけるんやないか?と何のリサーチもなしに私は税理士受験を始めたのでした。私は運よく試験にも合格し独立し現在に至っています。というわけで大河ドラマ「花神」は私の人生を変えたドラマなのです。税理士になったら技術者なのかといったらそんなわけではありません。なんせパソコンが仕事をする時代ですから。人間がやる簿記会計の仕事はなくなるでしょうね〜。だからこそ本当の技術者の仕事はこれから試されることになるんでしょう。これは別に税理士に限ったことではありませんね。技術とは一体何でしょう。永遠の課題です。

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